昭和50年ごろのテレビテニス|画面の中で打ち合った白い球
エポック社が国産初の家庭用テレビゲーム機テレビテニスを発売した1975年を起点に、昭和50年〜昭和54年(1975〜1979年ごろ)の、家のテレビの画面で二人で球を打ち合った記憶を振り返ります。

50代の時間軸
国立科学博物館の展示解説によると、テレビテニスは1975年にエポック社が発売した日本初の家庭用テレビゲーム機です。左右の2つのパドルでラケットを上下左右に動かし、映像はUHFの電波として送り出され、テレビで受信して画面に映しました。得点を記録する機能はまだなく、本体に回転式の得点表示装置が設けられていました。エポック社の沿革にも、1975年に「国産第一号テレビゲーム機」として発売したと記されています。 この記事では「昭和50年〜昭和54年(1975〜1979年ごろ)」を、資料で確かめられる発売・開始の時期と、暮らしの中でテレビテニスに触れた時期が重なる目安として扱います。地域、家庭、学校、手に入れた時期によって体験は変わるため、同じ世代なら同じ思い出があるとは決めつけません。
当時の使い方を思い出してみます。テレビのチャンネルを合わせて画面にコートを映し、左右に分かれてパドルを操作して球を打ち返し合いました。点数は画面には出ないので、本体の得点表示で数えながら勝負を続けました。
テレビテニスがあった場所は一つではありません。茶の間のテレビの前、親戚が集まった正月の座敷、友だちの家の居間、電器店の店頭の実演の前で見かけることがありました。 都市か地方か、家や学校の決まり、近くの店の品ぞろえによって、記憶の背景は人それぞれです。
音や手ざわりの記憶として残りやすいのは、パドルを握る指先の緊張、白い球がゆっくり横切る画面の明るさ、チャンネルを合わせるまでのざらついた画面、打ち返したときの小さな電子音です。年表には残らない感覚をたどると、そのとき近くにいた人の顔まで思い出せることがあります。
いまのゲームは画面の中で点数も物語も進みますが、得点を本体の表示で数えながら白い球を追った遊び方には、テレビが初めて遊び道具になった頃の手探りがありました。 今と比べるのは、便利になった暮らしを否定するためではなく、当時の手間の中にあった工夫や会話を見つけ直すためです。
テレビテニスを思い出す三つの手がかり
- まず、50代のテレビテニスにまつわる「場所」を一つ思い出します。家、学校、駅前、友だちの家など、固有名詞がなくても構いません。
- 次に、その場所で一緒にいた人と、音・匂い・手触りのどれかを一つ添えます。記憶が曖昧な部分は「たぶん」「覚えていない」と書いて大丈夫です。
- 最後に、いまの自分へ一言だけ残します。正しい答えを作るためではなく、次に誰かと話せる入口をつくるためのメモです。
思い出の問いテレビテニスで、誰と一番長く打ち合いましたか?
出典と編集方針
このページは、公開資料で時代背景を確認しつつ、特定の世代の体験を一つに決めつけない読みものとして編集しています。地域や家庭による違いがあります。あなたの記憶と違う箇所は、間違い探しではなく会話のきっかけとして扱ってください。
- 国立科学博物館「テレビゲームとデジタル科学展」展示の見どころ(2004年)
- エポック社公式サイト「Toy History ~おもちゃの歴史~」
- 編集確認日:2026-10-17。出来事の事実確認と、個人の記憶・感想は分けて記載しています。